〈ソウル⇔シャウレイ〉 Seoul⇔Siauliai
ソウル。
この2年、ソウルで作品制作を行う機会が有った。
お蔭で日本の次に滞在期間が長い国になったのだが、 その中で気付いた事のひとつは、街並にやたらと十字架が多いという事だった。 韓国はクリスチャンが多い為教会が多いそうだが、 其処で赤い光を称え光る十字架は、時に見渡せば周囲に2つも3つも輝いていた。 此処で私は何か違和感を感じる。 祈るべき対象はどれなのだろう。 あんなに多くても迷わずに祈りを捧げられるものなのだなと感心する。 其処からずっと十字架のイメージが離れないで居た。 街中の十字架を見付ければ写真を撮っていた。 クリスチャンでもないのに。 そして十字架を調べていると或る場所に出くわす。
シャウレイ。
リトアニアの地方都市のひとつ。 この都市に有る丘には、おびただしい程の数の十字架が有る。 ロシアの領土下に置かれていたリトアニアは、蜂起を試みるも2度の失敗。 それらを始まりとし、平和や死者を悼んだリトアニア人達は、丘に十字架を飾り始めた。 ソ連は何度も十字架を撤去されるも、その度に十字架は置かれ、増え、 2001年には「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として無形文化財のひとつとなった。 今やその地の周りでは十字架やロザリオが置かれ、観光客が訪れる様になった。 私はそんな遠くの国の歴史を知らずに生きて来た。 其処は今や観光地で、其処に本来有った「悼み」や「願い」は、 周囲による産業や、観光により意識が薄れつつ有る様で、 そんな行った事も無い、かの地に或る、十字架の効用と、 それを幾度も撤去されても負けじと置続けた人々について思いを馳せて。

これら全てを動かす「祈り」の力について考えたい。   長谷川寧

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