- December 6, 2013
Theatre National Radu Stanca[Nora]を観たのだけれど、
ミヒャエル・タールハイマー演出[エミーリア・ガロッティ]に演技スタイルから美術、音楽迄酷似していて、
はて、と思っていたら他にもそう感じた人がいたみたいだった。
どういう事なのだろう。
別に特段作品は嫌いな訳では無いのですが、
自分が[エミーリア・ガロッティ]に思い入れが有り過ぎたのか、どう受け止めて良いか判らなかったんだ。
別に作品を作る時に影響を受けるのは(今回の場合は知らないけれども)構わないし、
何処にも影響を受けないと言うのもそれはそれでどうなのかという気分も有るけれど、
アウトプットの段階で、仮にRadu Stancaの演出家がタールハイマーを知っていたとすると、これは難しいなと思った。
仮に知らなかったとしても、では良いのか、という問題になって来る。
で、[エミーリア・ガロッティ]には花様年華という映画の楽曲を繰返し使うのだけれど(これはRadu Stancaも。)、
音楽と言うのもまたこれは難しい問題だ。
そもそも選曲する場合、大抵その選曲された楽曲と言うのは他の為に書かれた楽曲だ。
花様年華は明確に映画だけれども、そうではなく誰かの為に書かれていたり、何かのテーマソングだったり、様々で。
当り前だけれど、既存の楽曲と言うのはまず私達の新作の為に作られている楽曲ではないのだ。
其処から何を見出すのか。
其処にアレンジや意図を持って使わなくてはならない、とは思う。
それは演出でも何でも。
で、最近今更ながら「風立ちぬ」を観たのだけれど(宮崎駿を映画館で観るなんて「もののけ姫」以来だった)、あれも原作をアレンジしていた。
というか堀辰雄の人生に、更に原作でもある堀越二郎の生涯を掛け合わせたハイブリッドと言うか、
おまけに其処に宮崎駿の人生を乗せ、なんならその弟子筋である声優を務めた庵野秀明というクリエイター迄搭載していて、
そのクリエイターにクリエイターの寿命についてをロールプレイさせる。
音楽で言うとマッシュアップみたいな手法で作られているなあと思った。
表記で言うと、
「風立ちぬ」by 堀辰雄×堀越二郎 feat. DJジブリ with EVA
こんな感じか。こう書くと凄い軽い感じだな。
ともあれ、これの主題歌も、荒井由実「ひこうき雲」だった。
既存の楽曲だ。
使い方については、もう明確というか、そのままでも有るけれど、これはもう意図的。
意図的過ぎて少し厭らしさも有る位だけれど。
決して荒井由美は当時宮崎駿の引退作品への書下しを狙った訳ではない筈だ。
(もしかしたら狙っていたかもしれないけれど、それは本人に聴いて下さい。)
その起用が良いとか悪いとかはさておき、作り手側の意思は伝わる。
それならそれで良いのでは無いか。
つまり何が言いたいのか、というと、
どうやらRadu Stancaの演出家は同世代らしいのだけれど(思ったより若くて驚いた)、
であれば、あそこ迄近いのであれば本歌取り、どころか寧ろ明確にマッシュアップして貰いたい、な、と。
良い編集というのは多分新しく成り得る筈だと思う。
そしてそれを嗜好するかどうかも自由であって良いと、思う。
其処に作り手の意思が伝われば。
或いは意思が表面化せずに伝わらない程さらり、と、巧く行って頂きたい。
そうすれば、そこには、なにか、ある。