- November 8, 2011
肝心のレジデンス先について全く書かずに今や日本に戻って来てしまった。
まぁ今もジェロームベル作品では英語でのリハーサルは続くので、何だか不思議な気分だけれど。
ざっとだけれども振返ろう。
9/29、レジデンス先は大変田舎だった。
原州(ウォンジュ)に近い場所だが、其処から更に田舎に有る。
稲畑が広がっている山の麓の村に有る廃校をリノベーションした施設だ。
まずソウルから90分程高速バスに乗り(韓国語でもコウソクバスと発音します)、
其処から地元のバスに乗換えて20分程行った所だ。
そして地元のバスはまぁ中々来ない。
タクシーも安いのだしそれで行けばと思うのだが中々タクシーもやって来ないのだから仕方ない。
雨も降始めやたら寒い中頑張って待っているとタクシーが来た。
タクシーの中の女性が何やら声を掛けている。
乗合いタクシーか客引きか。
良く判らないので無視しようとすると、その女性に「ネイハセガワでしょ!?」と声を掛けられる。
どうやら彼女がプロデューサーのペクだったらしい。
私の心ももうずぶ濡れで、ペクを勝手に客引きと勘違いしていたのだ。
ついたら其処にいたのはフランスから来たフィルムメーカーのタマラのみ。
カンパニーはツアー中との事。
小学校に、たった3人。
その3人で、酒も無いので街にタクシーで出て、生麦酒で乾杯。
思えば生を呑んだのはこれ以降無かったんじゃないか。
殆どが瓶だ。
そしてゆったり、ひっそりとレジデンスが始まった。
その後、まだ人が集まらない事もあり、説明を聴いたり、ストレッチをしたり、まぁ呑んだり、
している間に、ブラジリアンのリカルドが登場。
彼がてっきり参加するものだと思っていたが、彼はメディアアーティストで、センサーに反応をして音を出す風呂敷の展示をして、一人帰って行ってしまった。
一緒の部屋に数日間泊まっていたものの、彼はノトルが富川(プッチョン)に持っているアパートに基本滞在していた。
数日間は本当に一緒にやる物だと思っていたが、勝手に肩すかし。
この合間に富川のホールにてレジデンス先のNottle Theatre Companyの公演を観に行く。
フィジカルシアター。まぁ皆身体が強い。
バラシを手伝い、打上は延々と続く。
その日は取って貰ったモーテルに宿泊。
(といってもこれはラヴホテルだな。意外と安くて綺麗なので旅行客も使うらしい)
TVを点けたら日本の陣内という芸人が韓国語でネタをやっていて驚く。
翌日もそのホテルに泊めたカンパニーのトラックが壊れて動かず、修理車をモーテルに呼ぶというハプニング付。
そして私達のプロジェクトは、と言えば、
プロデューサーのペクの意見で、劇場ではなく、原州の街を使ったサイトスペシフィックな作品にしようという事で、
ひたすら街を何日か歩き、最初に見付けた古い呑み屋街では無く、中心に有る古い市場全体を使った作品となる。
2階は人も住んでいるけれど、廃墟に近い様な場所だ。
毎日延々と話し合うも、参加するコリアン2人がまだ来れない為、進まず。
そうこうしている内にNottle Theatre Companyがツアーを終えて戻って来る。
続く台北のツアーに向けてのリハーサルの為普段は劇場に。
基礎稽古等にも参加してみたりする。
いよいよミュージシャンのソルガ(元々俳優でノトルにいたらしい)が合流し、
市場を観客と歩きながら作品を進める事になる。
そしてフィジカルシアターの俳優であるユジンが最後に合流。
そしてカンパニーはツアーに出る。
そんな事で、宿泊先には男は私一人という状況が続く。
毎日皆で交代で食事を作る。
私も作るのだが、まぁ簡単な物になるし、醤油にはお世話になった。
初めて作った時はまだカンパニーが居た時で、朝食で10数人分をいきなり作った。
最初は余り好評で無かった事を踏まえ、食事に対する気を引締める。
さて、遅れて来たユジンと私は最後のパフォーマンスをする事になるが、これまた難航する。
いや、本当に難しい。
英語でのやり取りはどうしても判り易い説明になってしまい、ニュアンスやメソッドは伝わり難い。
全体の構成についてもユジンは遅れて来た分色々悩んでいる様で、中々時間が掛かった。
そうこうしている内に市場のオーガナイザーであるチョゴリ屋の旦那と許可を取って話したり、
2階で太鼓と唄を練習している奥方達に楽屋として使っても良いよと許可を得たり、
その場で色々な関係が出来て来るのは面白い。
最初は怪訝な顔つきでいた市場の人達が次第に応援をしてくれる様になるのは面白い。
ちょっとアイアンシアターを思い出した。
あそこも今の様になる為にえらく時間をかけたに違いない。
さて、その隙間にペクが行くというのでソウルの芸術見本市へ。
日本のプロデューサー等沢山の人に会う。
おまけにクロージングパーティではシンガポールのエスプラネードで会ったキムセン等にも会えて吃驚。
ソウルのKTXという新幹線へ向かう大階段に座り、
ヘッドフォンをしながら一般人も通る場所で障害者を含んだ上演をするBack to Back Theatre[small metal objects]が大変面白かった。
一般人に向けて台詞を話したり、一般人が階段に座ってヘッドフォンをして台詞を聴いてる私達にカメラを向けたりとカオス。
新幹線のホームだから人も当たり前の様に混雑するので何度も出演者も見失う。
詳しくは上記リンクに動画が有るので是非。
本当に体験として素晴らしい。
さて、帰ってからは私達の追込みが始まった。
なにせ本番は外なのでどうなるかは判らないし、観客のリアクションも読めない。
ユジンとのパフォーマンスは帰ってから深夜迄やったり、
bonobosのレクチャー動画をみて、市場の人と踊るコミュニティダンスを入れて欲しいと頼まれ作ったりとバタバタ。
そんな訳で最後数日は案の定追込まれる。
仕込では、想像していた以上に舞台監督サンミンとアシスタントが機材を持って来てくれて、照明等が用意される。
この頃になると、もう太鼓の楽屋に入浸っている。
此処が無かったらどうなってた事か。
そんな訳で、
10/20 平日17時から
[중앙시장, 그 오래된 골목 어귀에서(At the entrance of alleyway in Jungang Market)]
は始まった。
その様子は此処で取上げられています。
平日の早い時間にしては観客は思っていた以上に来て貰えたし、最後は市場で爆音で私の踊るコミュニティダンスを皆で踊るという展開に。
音楽は、[愛のツイスト]という曲で、向こうではかなりポピュラーな唄らしく、
まぁ多分「上海ツイスト」という歌詞からして、橋幸夫[メキシカンロック]的なポジションだと思われる。
そして踊ったのはこんなダンス。
公演の後半で流れたのはタマラが作った彼女の映画のトレーラー。
出演者一同が豪華競演。
[A Path to the North]
本番のメインのパフォーマンスでは、
「カバン」という同じ意味を持つ同じ言葉を皮切りに、言葉のギャップから作品を作った。
これは山口でやった「きみのことなんかしらない」という所からスタートしたもの。
このテーマはいずれ長編にしたい。
言葉から始まって、もっと遠く迄行くにはもっと考える事と時間が必要だと思う。
そして最後はコミュニティダンスで盛上がったが、演出家が居ない共同作品と言う事で歯痒い部分は勿論有った。
これは今後の共同制作の課題だと思う。
只自分が国内でやっている作品を考えると、こんなに盛上がって楽しい終わり、
というのもそうそう無いのでこれはこれで貴重だ。
その日にはソウルからNさんや友達のSも急遽来てくれて、朝迄盛上がる。
翌日は2人を初バスで見送り、2時間程寝た後にタマラを見送る。
あっという間の終わりだ。
帰って来て再び寝て起きた頃にはソルガもソウルに戻り、その日の内にどんどんと人が居なくなる。
その週にはカンパニーの年内の活動も終わり、演出のウォンさんも次の仕事でソウルへ、そして女優のリジーと私位になり、殆ど劇場は閑散としていた。
結局最後の週はソウルに滞在し、帰国のフライトも国内の次の準備の為少しだけ早めて貰った所も有るのだけれど、
此処でのソウルではまた何件も色々な人と話す事や来年以降の話等も出来て有意義だった。
外し続けていた韓国の舞台も、最後にはそこそこ面白いのにも出会えたし。
(まぁ演出家は外国人だったけれど。)
最終日前日には皆とパーティをしてお別れ。
もう韓国料理にも大分慣れたなぁ。
初めての海外レジデンスという事で色々恐れていた部分と、
実際に何処迄出来たかという部分に於いては課題が残るけれど、それでも充実はしていたと思う。
また作品を作りに来たい。
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