- April 16, 2010
日曜日。
夜中に井上ひさし氏の死去を知る。
明け方の日本から続々と知らせが来る。
正直井上氏の作品群に触れていない私に、観る事の出来た数回のニアミスが思い起こされる。
だけれど生きてる事だけでいつも何かとニアミスしてるのだ。
遠い国に居る私は何をすれば良いのか判らない。
それは日本に居ても同じだろうが。
彼が最後に遺した言葉、
『作品を読んでもらうこと、劇場に足を運んでもらうことが僕の幸せ』が、
遠い地で劇場が市民に機能している様を観ていて刺さる。
安らかにお眠り下さい。
日曜だが体調は復調せず。
ずるずるとやはり昼迄は横になり、その後閉店間際の蚤の市を2件程回った。
大きい所も然程大きすぎると言う事は無く(閉店している所も多かったからだが)、
レコードなんて見ながら回ると何故か至る所でロッド・スチュワートに出くわす。
ここもロッド、あそこでもロッド、またロッド、という有様だ。
何だ、癒着か。
リバイバルヒットを狙うロッドによる草の根活動か。
しかしそれにしては余りにも草の根が小さ過ぎるだろうロッドよ。
夜はシャウビューネでマリウス・フォン・マイエンブルグ演出[The Doves]。
[醜男]や[ノラ]の作家として日本では知られている彼だが、演出もするのはこちらに来て初めて知った。
これは別の作家の作品で、[The Doves]は鳩という意味らしい。
基本終始コメディだった。
コメディというのは難しくて、只でさえ台詞が判らないという疎外感に輪をかけて、
笑えないという勿体無さを付け加えて来る。
まぁこの前のZack'NDaveの酷過ぎるネタよりはマシな気がするが、ちょっと独逸人の笑いが思ったよりベタで驚く。
今回は最初がアカペラでマライア・キャリーの恋人達のクリスマスの合唱から入り、
途中途中に色々唄が入るので其処は言葉が判らぬ自分には助かったが、
凄いのはそれぞれひとりずつ曲を歌ったりするがほぼ全員異様に巧いのだ。
普通にコンサート開けば良い、と思う位。
内容は別にそんなに興味をそそるものではなかった。
只、闇雲に歌が巧いのだ。
あとこれはこっちに来てから何となく感じていたのだが観客に向けての芝居が多い。
勿論それだけではないだろうが、明らかに客を意識した芝居や、目線を合わせたりする事が多いのだ。
只これは、観客側が観ながら能動的であるから、何かを発信しているから、
自然にそれに答える形で出来て行ったものなのではないかと思う。
自然体で或る、という事に於いて最も自然で或る事は、其処に観客が居る事を理解して居る事だもの。
例えば、唄を歌う、客が声を上げ盛上がる、ウィンクする。
何らおかしくはない。
そんな事を考える。
帰りにどうしてもマイエンブルグ氏に会いたくて、スタッフに声を掛けるも今日は来て居ないとの事。残念。
しかしプレミアでまだ空けてすぐだというのに居ない、ってどういう事だろう。
忙しいものだ。
そして何日か遅れつつも次回からはいよいよフランクフルト旅情編。
旅情という言葉のイメージからは程遠く、ちっともしみじみしていない。
むしろ徒労編。
長谷川の最新情報は冨士山アネット公式twitterより。
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