- March 30, 2011
御無沙汰しております。
震災から半月、何かとバタバタとして時間が経ってしまいました。
色々な余波も有ると思いますが、震災のせいにするだけでも何も解決しませんので、
どう向かうべきか、考えています。
そして、既にサイトでは発表されていますが、リハーサルを重ねる中の怪我によるトラブルで、
[家族の証明∴]に出演を予定しておりました小林由佳(She de cusu oh chee!)さんが、
誠に残念ながら出演する事が出来なくなりました。
とても残念ですが、代わって、[不憫][SWAN]に出演していた石本華江(妄人文明)さんに出演して頂ける事になりました。
既に石本さんを迎えたリハーサルは始まっていて、順調にリハーサルに取組んでおります。
出演を楽しみにしていた方には大変申訳有りません。
ご購入済のお客様で、払戻を希望されるお客様は、コチラ迄御一報下さい。速やかに対応させて頂きます。
冨士山アネットpresents[家族の証明∴]JAPANTOUR 2011
作・演出・振付/長谷川寧
2010年春に初演、好評を博した「家族の証明∴」
今春、大阪・福岡・東京の3都市にて上演いたします。
冨士山アネット初の国内ツアー、拡がるテアタータンツ!乞ご期待!
2011年4月23日(土)ー24日(日) 大阪/芸術創造館
2011年4月28日(木)ー29日(金・祝)福岡/ぽんプラザホール
2011年5月11日(水)ー15日(日) 東京/アトリエヘリコプター
※各公演をクリックにて詳細が表示されます。
「証明∴」
何をやってもそれ以上を望まれる。
何処へ行ってもそれ以下は許されない。
私は棄てられない物を詰めている。
観られては行けないモノを詰めている。
此処に有るのは要らない物ばかりだ。
子供の頃に受験勉強をするフリして漫画やピンナップを眺めていた。
見付かりそうになると必死で机の下に隠した。
表面はまっさらで、何ひとつ証明なんて出来やしなかった。
証明する理由なんて判らなかった。
だって答えは出ているというのに。
部屋から引きづり出されそうになったときの力と、
抵抗だけは未だに身体の中に残っている。
いつまでも証明なんて出来ない。
そんな僕らが、家族を証明するために。
[振付・出演]
大園康司 伊藤麻希 玉井勝教 石本華江(妄人文明)長谷川寧
[スタッフ]
作・演出・振付 長谷川寧
音楽監督 吉田隆弘
音楽 フジモトヨシタカ(ar)
衣裳 生田志織
舞台監督 中西隆雄
照明 奥田賢太(colore)
映像 浦島啓(PUREDUST)
音響 和田匡史
美術 大泉七奈子
イラストレーション 東村アキコ
宣伝写真 生井秀樹 松本和幸
宣伝美術 太田創(01 Ga graphics)
制作 清水美里+冨士山家
共催 (財)福岡市文化芸術振興財団(福岡公演)
主催 冨士山アネット 大阪市(大阪公演)
・出演者変更のお知らせ
出演を予定しておりました小林由佳(She de cusu oh chee!)は怪我の悪化により、誠に残念ながら降板する事となりました。
代わって、石本華江(妄人文明)が出演致します。既に調整をして、公演の準備に望んでおります。
出演を楽しみにしていたお客様には大変申訳有りません。心よりお詫び申上げます。
尚、既にご購入のお客様で、本件で払戻しを希望されるお客様は、コチラ迄御一報下さい。速やかに対応させて頂きます。
[物語]
核家族。
父母兄姉僕。
父は一手に会社をやっていた。
母はパートで働いている。
兄は格好つけてばかり居る。
僕はそれを妬むが、憧れの存在でもある。
姉は男運が無く、ヒステリックである。
僕は受験勉強中だが部屋の中に引蘢っていて、
たまに姉の洋服や化粧品を黙って借りたりしている。
それは誰にも内証だ。
そんな家庭に潜む、どうでも良い様な会話や行動が、
家族という独特の団体の特徴を雄弁に物語ります。
食器を片付けない、荷物を散らかしっ放し、
頼んでもいないのにやってしまう、厄介で極まりない身内。
それらもどかしくも愛おしい人間達を身体表現で描き出す事で、
その深い関係が表出されます。
[コメント]
野田秀樹(劇作家・演出家・俳優)
長谷川寧との出会いは、私のワークショップにうまい具合に彼が紛れ込んで来たことから始まる。
私も若い頃は生意気な顔をしていたが、長谷川寧も生意気顔だ。
「おとなしいけれども才能のある者」よりも「生意気なうえに才能がある者」を私は買う。
生意気な人間は、自分をどんどん追い込んでいくしか道がないからだ。
つまり「あ、言っちゃったよ」だったら、「後はやるしかないか」みたいなことだ。
そして、長谷川寧は確かに、生意気顔だけれども、間違いなく、確かにやり始めている。
そして面白い。
乗越たかお(舞踊評論家)
長谷川は面白い手法をとっていて、始めは普通に演劇の台本を書いてセリフのある芝居にするのだという。
そこから徐々に、セリフを動きに転換していくというのだ。
セリフもちゃんとあるのだが、舞台のかなりの部分をダンス的な身体の動きで構成しており、ジャンル分けしずらいところだ。
長谷川自身もプロのダンス経験があるわけではない。目指すところは「ダンサーの身体からは発想されない独自の動き」だろう。
これはしばしば、劇団に振り付ける前出の井手や康本も口にすることだ。そういうことは十分にあり得る。
ことに日本は「有名振付家のなかに、バレエ経験がない人がけっこういる」という、世界的に見るとかなり特殊な事情がある。
だから長谷川の手法には大きな期待が持てる。実際にきらりと光るセンスはビシビシと感じるからだ。
ただ「ダンサー的でない」というだけで魅力的か、というとそれほど簡単なものでもな
いのだ。単なるヘタクソ、という場合もあるしな。
その点、長谷川は並のダンサー以上の動きを課しており、それは成功しているが、それ
も「とてもよく練習した役者の動き」という、ある種の型にはまってしまう恐れがあるのだ。
そこから「うわ、こんな動き見たことねー、すげー!」というところまで持っていけるのは、膨大な発想を注ぎ込み続け、棄て続けていく作業が必要だ。
が、ヤツらは行けそうな気がする。ガンバレ。
『どうせダンスなんか観ないんだろ!?激録コンテンポラリー・ダンス』(NTT出版)より
ひびのこづえ(コスチューム・アーティスト)
正直な所、「家族の証明∴」は見た事が無いのです。
先日始めて「3つのビル」と言う作品をみて長谷川寧は見た目も独特ですが作る物も面白い事をしりました。
言葉を発せずにストイックな体の動きで見せるダンスの様な演劇。
映像と音と空間と人が緊張感でつながって行きました。
5月に東京で「家族の証明∴」を見たいと思っています。
やなぎみわ(美術作家)
クールでスタイリッシュな表皮を剥いで刮目せよ!
辻凡人 [bonobos/Shleeps] (ミュージシャン)
演出をするという事は、身体表現をするという事は、見る人と見られる人とが時間と空間を共有する事だと思います。音楽をツールとしたパフォーマンスもしかり。
寧くんは、その囲われた空間を自身の色で満たすスピード感がずば抜けているんだと思います。
演出をした舞台を見ても、一緒にお茶をしていても。どんな時でも所でも、共有すると彼自身から風が吹いてくるのを感じます。
だから集中しちゃうのです。
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