- March 12, 2011
福岡でのWSの後大阪へ移動、精華小劇場でのシンポジウムを観に行き、取材を行い、
様々な人と知合って、感謝して、大変充実したツアーを行った。
帰って来て午前中からリハーサルだったが、それでもリハーサルは続けていたんだ。
だけれども、東京に戻ってから2日目の[家族の証明∴]リハーサル中に震災に見舞われた。
正直、最初は自分の動悸を感じているのかと思っていた。
その日、ちょっとしたホールでリハーサルをしていたのだけれど、あっという間に照明バトンと照明器具は揺れを増し、
出演者の大園康司、伊藤麻希、小林由佳(玉井勝教は別現場のリハーサルの為先に出てしまっていたが途中で足止めを喰ってしまったそうだ)と、
振写しで来て貰っていた前回出演者の長井江里奈、制作清水美里はリハーサル会場から外へ逃出して、皆掴まり合っていた。
地面が揺れ、マンションが揺れ、ちょっと例えは悪いかもしれないけれど、
それはもう本当に何かのアトラクションに乗っているかの様な感覚だった。
その後戻ってリハーサルをやろうとするとまた揺れ‥という状況が数回続いた。
やがて公園に移動した。
時間が経つに連れ、やがて公園には人が増えて来た。
案外のんびりしたもので、其処には犬を連れて散歩をしている人も居たし、
簡易的な椅子を持って座っている老人の集団も居たし、
状況が状況ならピクニックに見えたかもしれない。
私達は、もう、逆に開き直るしか無かった。
非常識かもしれないけれど、ユーモアを飛ばすしか無いんだ、この状況。
マンションが揺れる様を見て、地面がサーフボードみたいに揺れる。
1人ではない私達は、とても助かった。
ユーモアを言い合える事で、大分救われたと思う。
「1人じゃなくって良かった」と皆言っていたけど、それはそうだ。
1人ではユーモアは発揮出来ないし、どうにもならない。
公園から片付けようと稽古場に戻ると、避難場所にして良いかと管理人に許可を取ったらしく、小道具に座っているおじさんが居た。
ホールの出た所にもニュースを観ている人々の群れ。
各地で公演の中止が次々と発表される。
出演者がイデビアン・クルーを観に行こうとしていたものの、
(私達の地域では、無理だろう、けれどまだやるんじゃないか?なんて思える余裕はまだ有ったのだ)
新国立劇場のサイトに夜公演の情報が発表されるのをやきもきしながらみていた。
勿論、興行主ら本人達の方がやきもきしていたのだろうけど。
其処から地点や野田地図等相次いで中止が伝えられる。
こんな時舞台に何が出来るのだろう、と思う。
つまりそれは悲観的な無力感ではなく、何か出来ないか、との事。
中止の判断も勿論正しいけれど、スズナリ等では本番も行われたらしい。
観てる場合じゃない、という意見も尤もだ。
だが、上演をする、という選択肢も、私はひとつの考えじゃないかと否定は出来ない。
空腹も、外傷の治療も出来ないかもしれないけれど、
それでも舞台には、何かの力が有ると思うから。
深夜の東京国際フォーラムだって、4000人もの人が集って、会場を解放していたらしい。
どういう形でも「場」になる、というのはとても喜ばしい事だと思う。
それが舞台の力で有ると思うし、有って欲しい。
私達はその後、食事をした。
ファミリーレストランをはじめ、あらゆる店舗が閉まっている中、
いきつけの中華料理屋の中国人はケロッとした顔で「やってますよ。」と言ってくれた。
嬉しかった。タフで有る事。
私達はいつも通り食事をした。(勿論気持悪いと言って食べられない者も居たけれど)
いつも空いているその店が私達が入ってから後、続々と埋まっていった。
電車の今日中の運行がほぼ絶望的な状況かもしれない、との旨を受け、近くの私の家を目指し歩いた。
皆がTwitterで連絡を取合ったりしていた。
TVもネットも繋がり難い状況の中、Twitterは稼働していた様で、皆がそれで情報等仕入れていた。
こんな有効に活用されている事も国内で無かったんじゃないか。
通り掛かる人達が「市川駅迄あと4駅」なんて言って歩いて行く。
4駅ってそんなに軽いもんじゃない。県またぎで歩こうとしているんだ。
下っていく人の列が圧倒的に多い中、私達は逆流して行く。
なんだろう、ちょっとした地元の花火大会の帰りみたいな列を想像してくれると判り易いんじゃないか。
いつもならすいすい行ける慣れた路地でさえ、車の行列が出来ている。
車中の人達が窮屈そうだ。
私達は30分強歩いただろうか。家に着く。
我々とは較べ物にならない状況の、VFXみたいな加工を施したんじゃないかと思う様な酷いニュースが延々と流れ続けていた。
もう、どうにも出来やしない私達は、まるで家族の様にDVDを観たり、資料を書いていたりした。
それ位どうにもする事が無かったんだ。
合間合間で運行状況等をチェックし、落着いて来た出演者が家に帰ると行って出た。(後に無事に着いたと連絡は来た。)
それでも多くの人は帰れず仕舞で、泊まって行った。
玉井勝教は深夜に帰れたと判明。良かった。
国内外の人から、大丈夫?と連絡が入るが、メールも自分から受信を選ばないとすぐには来ないし、メールも送信エラーが出たりするので直ぐに返せなかったりもした。
それでも無事を伝える為、やがて少しずつ返し。
海外の人は、それこそ甚大な被害ばかりが取沙汰されているので心配しただろう。
皆は揺れに敏感になり、それだけでグッタリもしていた。
家に着いても上着を脱ぐのも嫌な様で、着ていたり。
それでも私達は皆で入れたから良かった。落着いていられた。
そして其処にユーモアが有って良かった。
心がゆれないで居られる事がどれだけ安心をする事か。
まだ被害さえ見えない状況で、今後更に状況は悪化して行くのは目に見えている。
どうにもならない天災に見舞われた時に、舞台にも立っていない私達の出来る事は微力かもしれないけれど、
それでも被害の大きさに騒ぐのではなく、周りの数人だけれども悲壮な顔を取除く事が出来れば。
勿論、もっと甚大な被害に遭われた人の安否を気遣いつつ。
ユーモアを。ゆれないために。