- January 2, 2011
忘れない内に、書く気が失せる前に書いておこう。
去年の事とかは、意外と必要だったりもするので。
1月
昨年の活動は、一昨年12月から1月に股がった、
Bunkamura20周年記念公演[東京月光魔曲](作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ)によるカウントダウン公演で、
0:00よりシアターコクーンにて幕開け。
こちらDVD販売中。
良かったらお正月の空時間に。
1月には東京芸術劇場にて芸劇eyesとして採択され、冨士山アネットproduce[EKKKYO-!]を主催。
色々入混じってたけど、まさか岸田戯曲賞に2組もノミネートされる作家が出ると思ってもみなかった。
その合間でFUKAIPRODUCE羽衣[あのひとたちのリサイタル]にて振付提供。
羽衣は皆真面目で有難い。
これはスズナリでの第1回目の映像。
思えばこれを観に来た野田さんに誘って貰ったのが始まりだったので、
まだその時は芸劇eyesなんて枠組は知らなかった。
3月
冨士山アネット[家族の証明∴]を発表しました。
2月はリハーサルに明暮れた。
世田谷パブリックシアターの地下のスタジオでやっていて、若干酸欠気味の稽古場だった。
4月
ヨーロッパへ1ヶ月行く。諸々の下見を兼ねて。主にベルリンとベルギー。
そしてアイスランドの火山噴火の影響で、
アントワープのdesingelという劇場迄ヤスミン・ゴデールを観に行ったのにイスラエルから来れないので休演という事態。
トルコにパパ・タラフマラが公演に来てたり、イギリスで野田さんが火山灰で帰れず仕舞いなのをニュースで知ったり、
近くに知合が何だか多いなあと感じた欧州。
ブリュッセルのNEEDCOMPANYの船矢ちゃんなんて20時間掛けてスペインのツアーからバスで戻って来たりしたらしい。
しかし飛行機が飛んでいる様を観て、盛上がったっていう感覚は、ちょっと新鮮だった。
因みに残念ながら来場ならなかったヤスミンの作品[LOVEFIRE]はコチラ。何故かレセプションが開かれその場で見るというシュールさだった。
5−8月
ヨーロッパから帰って来たその日の夜に、今アネットの制作をやっている清水と会う。
其処からあれよあれよと今や深く関わって貰っている。
5月か。もう2年位関わっている様な気がする程濃かったな。
いきなり[SWAN]を回すというのも大変だったろうけれど、今やアネットに必要不可欠な人材だ。
今はNYなので、無事に帰って大きくなって来る事を祈る。
そして5月から8月に掛けてのメインは、NODA・MAP[ザ・キャラクター](作・演出 野田秀樹/振付 黒田育世)のリハーサルと出演。
もう傾斜が有る舞台でひたすらリフトをし続け、稽古中には脚引きずってやっていたけれど、概ね楽しい稽古場だった。
本番中に合間を縫い、フジファブリックPV[夜明けのBEAT](TV東京ドラマ[モテキ]主題歌)の振付。
1日、しかもまさに深夜から明け方迄の撮影だったけれど、楽しかった。
そしてPVも好評で何より。
9月
[SWAN]フライヤーで着用しているブランドFUGAHUMのPVに出演。
撮影中、アドリブで何となく踊り始めたものの、
監督「そろそろネタも尽きたかな、カットを掛けようかな」
長谷川「あ、ネタが無くなった、ヤバい、新しい事しないと。」
監督「お、新しい事やり始めた、もう少し回すか」
長谷川「いつになったら止めるんだろう、いつ迄踊り続けるのだろう」
監督「そろそろネタも尽きたかな、カットを掛けようかな」
長谷川「あ、ネタが無くなった、ヤバい、新しい事しないと。」
監督「お、新しい事やり始めた、もう少し回すか」
長谷川「いつになったら止めるんだろう、いつ迄踊り続けるのだろう」
監督「そろそろネタも尽きたかな、カットを掛けようかな」
長谷川「あ、ネタが無くなった、ヤバい、新しい事しないと。」
監督「お、新しい事やり始めた、もう少し回すか」
長谷川「いつになったら止めるんだろう、いつ迄踊り続けるのだろう」
のループで、カットを掛けて貰えず30ー40分程踊り続け終った後はまともに立っていられなかった。
そんなPV。
何故だかPVめいていた8−9月。
10月
冨士山アネット[SWAN]をシアタートラムにて上演。
もう、ね、水は、とんでもないよ。体力が奪われる。化物だ。
[SWAN]の翌週には観に来てくれた多摩美術大学の1年生に向けて、講義とWS。
男女きっちり分かれて座るって、何だか誰も統制してないのに凄い。
10月から12月に掛けては世田谷パブリックシアターによる土曜劇場プレイ・パークの講師をさせて頂いた。
何だか皆反応が良くて勘も鋭くてなにより。
11月
フェスティバル/トーキョーを観漁った。
たまにはホラ、インプットして勉強しなくちゃ。
なんだかんだいっても、ロドリゴ・ガルシアはインスピレーションを貰ったし、
マルターラーがあんなにぶっ飛んだ作品だなんて思ってなかった。
12月
[SWAN]で音楽をやって貰ったフジモトヨシタカのarイベント[arひarときarばしょ]に参加。
ライヴハウスってやっぱり空間が違うので、自ずと勝手が変わって来る。
年末にはおふぃす3○○実験公演ユニットえりすぐり[笑うハチドリ](作 石原燃/演出 渡辺えり)に振付。
1箇所位の振付箇所が気付けば13箇所位に膨れ上がっていた。
私自身勉強になったのだけど、いや、もう、本当に間に合って良かった。
初日前日の夜中は、隙間を見て2月公演のフライヤーを入稿。
こちらも間に合って良かった。
[笑うハチドリ]初日に幕が開けた隙間で翌日映画撮影等も行う。まぁまだ撮影中ですが。
朝家を出てから撮影迄に12時間掛かるってちょっと凄い。
茨城で何も無い場所だったので、余りにも暇で畑の周りとか散歩していた。
ただスタッフが余りにもフル稼働だったので体調を壊しやしないか心配。
スケジュール表に、最後のシーンの撮影時間が29時って書いてあった。
舞台って、これならまだ健全なんじゃないかと思った。
という訳で
お蔭様で無事に1年を終えました。
しかし、なんといっても昨年はTwitterだったんじゃないだろうか。
別に個人でやっている訳でもないけれど、
周りでやっている人のブログが次々と死んだ様に更新されないサイトになっていったのを目の当たりにしたし、
ブログのコメントなんかも、Twitterの方に書かれていたりするようになった。
そして宣伝媒体としても比重が大きくなっていった。
昨年1年で一番メジャーになった媒体じゃないだろうか。
今じゃ呟きがニュースになっていて、呟きって概念がもう何だかおかしい事になっている。
別に否定もしないし、有効なのは判っているので距離と節度を持って接したいのだ。
そして単純にここが更新出来なかったのはバタバタとしていただけだけれど、
どうにもこのままでは行けないと思う。
最近只の記録と化しているのも良くない。
内容だよ内容。
書いていこう。
只、だからといって、ポエムは詠まないよ、ポエムは。
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